APRESIA Technical Blog

光通信の黎明期 ~ガラスと光パワー~

はじめに

こんにちは。APRESIA Systems・光デバイス設計部の土田です。
普段は光ファイバーや負荷試験機を使って、WDM装置・PONシステムの検証をしています。検証しながらときどき、自分のしている作業の意味を考えこむことがあります。
「この、意味不明な16進数の羅列も、足が8本のタコならもう少し理解しやすいだろうな」
「生物の目は独立に進化してきたらしい。すると、人類が滅んでもやっぱり光通信をする生物が現れるのかな」
「いったい光通信はどこまで高速化するのだろうか」
「そういえば、私が最初に高速化の壁に突き当たったのは、2.5G(bit/s)のときだったな・・・」

2.5Gbit/sの通信のどこが高速なのかと、不思議に思われるかもしれません。25年前のある日、私が初めてプロジェクトリーダーとして開発した光伝送装置と、その通信エラーを解決するために会社の先輩と交わした会話を、今でもときどき思い出します。
それは、当社初のTDMとWDMの技術を組み合わせた光伝送装置GMX-1004という機種でした。(正確には、当社APRESIA Systemsは当時存在せず、日立電線という電線メーカーの一部門でした)
※TDM: Time Division Multiplexing、時分割多重。WDM: Wavelength Division Multiplexing、波長分割多重

私が回路図を引いた回路基板が工場の1階の製造現場で試作され、私は意気揚々と3階の実験室に引き上げてきました。狙った通り動く部分、控えめにやや正しく動く部分、いろいろありましたが、いよいよ2.5Gbit/sの長距離光トランシーバーを載せて通信させてみる段階に来ました。
基本的には通信できたものの、40kmの光ファイバーを通すと6台の内2台ほど、ボロボロとエラーが出る試作機がいます。

図1 長い光ファイバーを通すと発生する通信エラー

「これって私の回路基板が悪いのかな? 光トランシーバーがダメなのかな? 光ファイバーが不良品なのかな?」
悩んでいる私に、光トランシーバーをやっている研究所の先輩が教えてくれました。
送信直後の光パルス波形はピンとしていて美しいのですが、長距離の光ファイバーを進む内にパルス波形がつぶれる、波長分散という現象があります。
光パルス中の短波長と長波長とで、速度差により到着時間がずれてしまうことが原因です。
私が見ていたのは、まさにその現象だったのです。
他にも、光トランシーバーの仕様の見方をいろいろ習いました。

「要するに、この光トランシーバーが仕様を満たしていないのでは?」
「うーん、まあそうだねえ。通信さえ通ればいいから、長距離性能はいいから、って君の上司から言われたからこっちも無選別の試作品を渡したはずだけどね」
「そうでしたか。まあ、それはいいです。・・・高速になればなるほど、光パワーの強さよりも、波長分散やその他の波形歪みが出てきて、その対処が本質的になってくるんですね」
「いや土田君、それはちょっと違う。信号を良くするテクニックの前に、光パワーが届かないと話が始まらないよ。光パワーこそが本質だ」
これが私の光伝送の出発点でした。

光ファイバーができるまで

光ファイバーという糸のように細長いガラスを使って、どうやって音声や動画や株取引の情報が伝わっているのでしょうか。光パワーの観点から、解説を試みたいと思います。

古代ローマのプリニウス(Gaius Plinius Secundus)は、「博物誌」でガラスの起源とされる伝説を紹介しています。
ある時ナトロンを運ぶ商船がフェニキア沿岸に停泊しました。
ナトロンというのは、炭酸ナトリウム・炭酸水素ナトリウムを主成分とする鉱物で、古代では石鹸作りやミイラ作りに使われていました。
岩塩のように大きな塊で掘り出され、輸送されていたものと思われます。
商船の船員たちは砂浜に下りて食事を準備しようとしましたが、大鍋をかける適切な石が見つかりません。
船荷のナトロン塊を降ろしてきて、それに大鍋をかけました。
ナトロンが熱せられて砂と混ざり、見慣れない透明な液体が流れ出した、それが原初のガラスであったということです。(考古学的には、もっと古い時代のエジプトやメソポタミアの遺跡でガラスビーズが発見されています)

図2 フェニキア人と原初のガラス(プリニウスの伝説に基づく想像図)

ガラスを最初に光ファイバーとして使ったのは、時代が下って1930年、ドイツのミュンヘン大学にいた医学生ハインリッヒ・ラム(Heinrich Lamm)でした。ラムは、束ねた光ファイバーが曲がった状態でも映像を伝送できることを実験で証明しました。
今日でいう内視鏡のようなものを作りたかったようです。
ただし、この時の「光ファイバー」は光を通すためのコアだけでできており、光を閉じ込める被覆(クラッド)がありませんでした。このため、光パワーの漏れが激しく、映像は暗く不鮮明でした。

ガラスのコアにプラスチックや油など低屈折率の物質でクラッドを施し、全反射により光パワーの漏れや混信を防ぐ、という方式が1953年にオランダのブラム・ファン・ヒール(Bram van Heel)によって発明されました。
いったい、実験で使う光ファイバーに油を塗ってみるという発想がどこから出てくるのか不思議です。
もしかすると、ファン・ヒールの父親がオランダ領東インドでパーム油を作る会社を経営していたことが関係しているかもしれません。
実際のところは、ガラスのコアとプラスチックのクラッドとの間には隙間ができやすく、油で塗った光ファイバーもあまり実用的ではありませんでした。
もし「油で塗るしか方法がない」ということになっていれば、今日の光通信の実験室や局舎は油でべとべとになっていたことでしょう。

図3 光ファイバーのクラッドに油が採用された世界線での実験室(想像図)

1956年にはアメリカのローレンス・カーティス(Lawrence Edward Curtiss)によって、低屈折率のガラスをクラッドとする方式が発明されました。
カーティスが学生だった当時は、石英に添加物を入れて屈折率を調整した原料は売られていませんでした。
しかしながら、カメラレンズの素材として高屈折率のフリントガラスの棒が、試験管の素材として低屈折率のソーダガラスの管が売られていました。
ガラス棒をそれがぴったり収まるサイズのガラス管に入れて、加熱して引き伸ばせばコアとクラッドの光ファイバーになる、というのがカーティスのすごい着眼点です。
この光ファイバー製造法は、ロッド・イン・チューブ法(管の中に棒)と呼ばれ現在でも応用されています。
もっとも現在では、クラッドの一番内側の部分はVAD法(気相軸付法)という、棒に粉を吹き付けて加熱する方式で作られています。
冒頭で 2.5 Gbit/s の伝送実験に使っていた光ファイバーも、私のいた実験室から 500 m ほど離れた母材工場で、VAD 法により作られていました。

図4 ガラスクラッド光ファイバーの構造(現代のシングルモードファイバーの例)

通信に使える光ファイバー

さて、これでやっとガラスの光ファイバーが作れるようになりましたが、当初は化学反応容器やジェットエンジンの中を観察する工業用途、胃カメラなどの医療用途で使われていました。
当時の光ファイバーは光の伝送損失が 1000 dB/km 以上もありました。dB(デシベル)は 10 のべき乗を示す単位で、1 km 先まで伝えようとすると光パワーが 10100 分の一になる計算です。

ここに太陽光を通してみましょう。
太陽が宇宙の全方向に向かって放っている光パワーを全部集めると 3.828 × 1026 W の電力に相当し、これは平均波長 500 nm と仮定すると光子 9.635 × 1044 個が毎秒放出されていることになります。
しかし 1000 dB/kmの光ファイバーを通すと 1 km進む内に光パワーは弱まり、3.828 × 10-74 Wになります。
光子数に直すと、1.038 × 1055 秒 = 約 3000 載年に 1 個しか届きません。
( 載は、1 億の 1 兆倍の 1 兆倍の 1 兆倍 )
「 千載に一遇 」とは、まさにこのことです。
太陽サイズの恒星は寿命が約 100 億年( 約 3.15 × 1017 秒 )と予想されていますので、光子が 1 個も届かない内に実験は終わるでしょう。

図5 太陽光を伝送損失1000dB/kmの光ファイバーに通す実験

1960年代、電話会社の局舎同士はメタルの同軸ケーブルやマイクロ波でつながっていました。
当時日本では、電話中継回線への負荷がどんどん上昇していました。
電話は 4 kHz 程度の帯域なので、1本 1本 は大したことないように見えます。
しかし交換手を介さないダイヤル即時化が進み、電話をかけるのに何十分も待たされることがなくなると、便利になった長距離電話を使う人が増えました。
さらに、銀行間を結ぶオンラインシステムや、カラーテレビ放送が中継回線に乗っかってきました。

同軸ケーブルは、低周波であれば低い伝送損失を示しますが(例えば、1 MHz で 2.4 dB/km )、周波数の平方根に比例して伝送損失が増大します(例えば、100 MHz では 24 dB/km、10 GHzでは 240 dB/km )。
高周波になると伝送損失が大きくなるということは、中継器の間隔を短くしなければならない、ということです。
しかし、間隔が数十kmから、数km、数百mと狭くなると、そんな設備を打つのはどんどん無理になってきます。

マイクロ波は、同軸ケーブルよりも高周波まで低損失で伝送できます。
ところが、たとえば 6 GHz という高周波の電波があったとしても、信号を送るのに使える帯域幅はせいぜい 100 MHz 程度です。
1960年代では、この帯域を使って約 100 Mbit/s に相当する電話中継が行われていました。
しかし、マイクロ波による大容量化には限界が見えていました。
( 2026年現在の電子技術では、100 MHz の帯域幅で 1 ~ 2 Gbit/s の通信を行うことができます。 )

図6 同軸ケーブルと光ファイバーの伝送損失の例

このような状況の中、1966年にイギリスのチャールズ・カオ(Charles Kao)とジョージ・ホッカム(George Hockham)は、画期的な論文を発表しました(Dielectric-fibre surface waveguides for optical frequencies, K.C. Kao and G.A. Hockham, 1966)。
「不純物を除去して純粋なガラスで光ファイバーを作れば、伝送損失は 20 dB/km を下回るはずだ」「クラッドよりコアの屈折率を 1 % だけ高くすれば、光ファイバーは 1 GHz 以上の帯域幅を持つ」というのです。
そして、現実的な光ファイバーの製造誤差でも、十分な光パワーの閉じ込め効果があることを実験的に証明しました。カオらは、溝付きの金属棒にマイクロ波を通すことで、光ファイバーとレーザー光の関係を等スケールで模擬します。直径が μm サイズのファイバーを実験のため加工することは困難でしたが、直径数 cm の金属棒は加工できました。そして金属棒の溝を周期的に変化させ、閉じ込め効果や曲げ損失を定量的に評価したのでした。
さらにまた、当時得られた光ファイバーにヘリウムネオンレーザーなどを照射して、接続損失やモード伝搬を評価しました。
この光ファイバーは、原文には「signal-yellow glassがコア」と書かれていますが、おそらく黄色の照明用または表示用のライトパイプとして作られたものではないでしょうか。
ガラスクラッドの光ファイバーを初めて作ったカーティスの工夫に通じるところがある気がします。

光ファイバーは、高周波でも伝送損失が増大しません。(少なくとも信号周波数が数 THz 程度までは・・・)
カオらの論文に触発され、世界中の研究者たちが光ファイバーと送受信機の改良に取組み始めました。
2026年の今日、光ファイバー(シングルモードファイバー)の伝送損失は波長 1550 nm で 0.2 dB/km 程度にまで低減しました。送受信機は 1 個で 1.6 Tbit/s 、WDM 技術で波長を束ねると 1 本の光ファイバーで数十 Tbit/s を伝送できる状況になっています。

さいごに

今回は、「ガラスはもっとよく光パワーを通せるはず」と考えた人たちの工夫の歴史を振返りました。
次回は、ムーアの法則、光アンプとWDM、デジタルコヒーレントなど、現代に至る光通信技術の発展を見ていきたいと思います。